私談・楚漢銘々伝

レス数:1000 サイズ:1094.6 KiB 最終更新日:2018-04-28 03:38:25

101  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/12(Thu) 20:02:23 ID:45c5db76
>>96
大塔宮は仏兵が兵力基盤だから、寺社勢力と殺し愛してる畿内武士は味方しない
関東は敵対者の足利支持。蜂起したところで味方する可能性があるのが楠木みたいな小身の悪党勢
というか楠木は後醍醐に弓引かない。
楠木正成も万里小路藤房も北畠親房も最初期から
後醍醐の政治路線に反対の地方分権主義者なのに被DV女のように従順でゾッとする

102  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/12(Thu) 20:06:52 ID:6355d7cb
乙でした
劉邦がこれだけ威婦人と劉如意のこと気にかけてるの見ると、もし仮に威婦人と劉如意に待ち受ける未来を知ることができたとしたら、どうしただろうか?って考えてしまう
もし劉邦が未来を知ったなら呂后を排除した(できた)だろうか?

103  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/12(Thu) 20:24:08 ID:a320f16a
乙でした
劉邦って内政面でも法三条以外に何かネタがあったわけじゃないしなあ

104  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/12(Thu) 20:31:02 ID:6e9becfc
乙でした
人間は老いていくにしたがって何でもないことに対しても不安を感じていくもんなんだよな
ソースは俺の親父

105  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/12(Thu) 20:31:33 ID:a00d6e7e
あれだけ戦場を駆けまわっていたら、政治もできんわな、だからこそ蕭何を警戒するわけで

106  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/12(Thu) 21:39:29 ID:f673e00e
乙でした
ある意味ここからがこのスレの本番だね
盧綰は最期の裏切りが無かったら別動隊率いるぐらいだし、創作でも夏侯惇ポジションぐらいの扱いだったんだろう
無様な晩年もイメージもあって相談役程度で他はからっきしの幼馴染キャラになってしまった気もする

107  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/12(Thu) 22:05:12 ID:a00d6e7e
燕王になったのがすべての誤りか?たとえ曹参や樊カイだったとしても寝返っていた?

108  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/12(Thu) 22:18:43 ID:ea72152a
乙でしたー!

さすが陳平は策士ですなあ

109  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/12(Thu) 22:26:42 ID:752939d2
う~ん
管仲は棺に抱き着いてなお殺されたが、陳平は殺されなかった、か

110  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/12(Thu) 22:31:39 ID:a00d6e7e
呉起じゃね?王の屍と一緒に死んだのは

111  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/12(Thu) 23:09:11 ID:743483da
管仲は寿命で死んで
その後片腕が居なくなった王が悲惨な末路のパターンや

112  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/12(Thu) 23:10:56 ID:94653100
死体が腐っても後継争い優先で放置され続けたんだったか

113  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/12(Thu) 23:13:22 ID:a7a5b882
>>111
所詮桓公は劉禅と同等の器だしな。

114  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/12(Thu) 23:15:21 ID:90c321b7
死後67日間納棺されずに放置され、その後も8ヶ月以上埋葬されず、蛆が棺の扉から出てきたという

115  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/12(Thu) 23:54:37 ID:d8cfd0d5
春秋戦国時代は皆そんなイメージ
たまーに名君と賢者がセットで出てくるけど一代限りで元の木阿弥、という

116  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 00:00:57 ID:5813c790
実際には野外に放置してあれば夏場で一週間、冬でも数ヶ月で白骨化するそうなので
野獣に死肉を食われるということが起きないにしても
納棺せずに2ヶ月放置の時点で大分白骨化が進んでるんじゃないかと思われる

117  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 00:11:03 ID:b2aeddf5
ネルソン「酒漬けにして保存しよう」

118  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 00:13:04 ID:4e0663f3
>>116
野外じゃなくて、廟堂なんじゃないか
春秋時代だと戦争とかの国の重要な決定は廟堂でなされていたから、ある意味最も重要な場所なのに、
そこが一年近くほったらかしだったとは…

119  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 00:59:53 ID:aadd4d7a
>>113
おいおい諸葛亮死後も人事の遺言守って圧倒的劣勢で30年も国を保たせた劉禅を桓公ごときと同等と言われちゃ困るぜ

120  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 06:30:52 ID:cc80eea8
>>114
宮城谷さんの晏子だと親の埋葬に半年以上は家で拝んでから埋めるそうだけど、半年も屋内においていたら当然腐るから
おそらく防腐処理でもしたんだろうな、内臓や脳みそ抜くとか水銀を口からつめるとか、桓公はそれをやってもらえなかったので腐敗したんだろうね

121  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 07:59:01 ID:234e8bfb
>>115
一代で元の木阿弥を繰り返すので、
商鞅の遺産を守り続けた秦が最終的に一人勝ちするわけだしな。
函谷関があって外的の侵入に強いという強みはあるにせよ。

122  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 08:23:40 ID:077c8ec4
>>119
流石に管仲死後も死ぬまで覇者として覇権握り続けた桓公が上

123  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 08:41:56 ID:1a9bdcc9
乙です

>>121
春秋時代だけで見ても晋が覇権の世襲に成功してると思います
周王室と同姓の血筋と、中原の国で唯一単独で楚とタイマン張れる国力があったからだけど

>>122
国を保ったというなら斉の滅亡は桓公が没してから420年後ですからねw
田氏に滅ぼされたとしても260年後

124  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 08:47:08 ID:9f197926
呉起だったか。うろ覚えだった
>>110ありがとー

125  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 12:07:53 ID:cc80eea8
桓公云々いったら、晋のほうが重耳がいなくなってからどんどん衰退して結局三分割されちゃったしな、斉よりも早くに
まあ文公の責任というより献公のせいなんだが、でも晋の成り立ちを考えると斉より安定していない歴史なんだよな

126  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 13:07:11 ID:6f98f498
文公って放浪の旅が長すぎて正直どうなんだという気になる
在位たった9年だし
それで覇を唱えられるということは文公の治世でとった政策とかはそこまで関係なくて
晋の国力が元々高かっただけなのでは?と

127  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 14:40:18 ID:234e8bfb
国そのものの条件でいえば、
劉禅が継いだ蜀は、立ち位置的には中原の覇者だった当時の斉に及ぶべくもなく、
秦の統一事業時の趙ぐらいのもんだろう。

国は滅びたけど、これをはね返せるのってそれこそ名君中の名君にしか不可能だわ。

128  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 17:33:43 ID:cc80eea8
益州だしな、劉邦が漢中王になった時期と全然違って、中原が盤石であった

129  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 17:53:52 ID:86d5ff97
ヤバい、瞬間は何度かあったけど、その都度跳ね返し守り切る人材が複数登場してくるのが泣きたくなる人材格差

130  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 18:18:13 ID:15a19313
中央が宮廷政治でグズグズの時でも揺るがなかったからな。
曹丕の早逝は魏にとって痛恨の一撃だったと思う。あれがなければ統一だってありえた。

131  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 18:45:59 ID:3f4a9f0a
親族を大事にしなかった曹魏はあっさり滅びてるのに漢王朝は建前上400年続いてるのよな。

132  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 18:48:39 ID:c10afc43
晋の分割は衰退したからじゃなくて国力は趨勢的に強くなる方向だったのだが
公族、豪族の粛正に失敗し、さらに楚との抗争で失敗して晋公が国内で力を落としたから

晋は文公が立って後は覇権国家もしくは挑戦国になるだけの力を概ね一貫して保持してて
以降300年程は晋楚による冷熱合わせた抗争が春秋時代の中軸

呉越の存在とかも忘れちゃいけないけど中原とそのまわりをドデンと支配してる晋は強かった

133  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 19:37:11 ID:a104ea02
>>131
鎌倉時代:148年(諸説ある上に、誰が支配者だよ?)
室町時代:237年(後半というか、最初からどうしようもなかったけど)
江戸時代:265年(どうして、こうなった)

室町時代って、京都と鎌倉(古河)で争ってた上に、西は後継者以外を片っ端から坊主にして、東は○○公方が乱立している感じだけど
実態はともかく、なんとなく一致団結イメージのある鎌倉北条氏よりかは、長続きしてんのな

134  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 19:52:38 ID:c26f3a42
>>131
準皇族をめちゃくちゃ優遇してる国家体制なのに曹魏が親族を冷遇云々って意見は毎回首を傾げる
曹叡の補佐するよう遺訓受けた四人のうち2人が曹姓だし、夏候氏は悉く富貴を受けてる
そも、後継者争いした曹植なんて冷遇して当然だろ。
つか王子時代に軍紀違反犯してるのに将軍やりたいって奏上する曹植もだいぶ面の皮厚い

135  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 20:01:27 ID:0473ee60
>>131
宦官がいざとなるとしぶとかったからね。

136  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 20:13:02 ID:aadd4d7a
曹叡が最後ぐだぐだ過ぎたわ。戦犯劉孫爽

137  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 20:32:28 ID:2aa48a70
なんか西晋と春秋の晋を混同したレスが有るなw

138  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 20:38:04 ID:a104ea02
英国で書かれた「シャーロック・ホームズ辞典」だと、曹魏と北魏の区別がついてないようで、日本語訳では注釈が書かれてた

139  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 21:29:00 ID:cb8d8bdc
>>133
江戸時代の凄いのは、その期間にほとんど大乱の類がなかったというところ。
ほぼ平和な時代を200年以上続けたのは世界的にも珍しかろう。
鎌倉は承久の乱や元寇があり、(つか北条氏の天下になるまでは関東の武士団で内輪もめ続き)
室町時代にいたっては平穏な時期を探す方が難しい始末。
宮廷関係のゴタゴタもないから、
前漢はいうに及ばず、後漢も江戸時代の平穏にはかなわないだろう。

140  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 21:32:37 ID:4e0663f3
>>139
島国だったし、ぶっちゃけ19世紀になるまで、どの国も日本を侵略しても得になることがない

141  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 21:37:35 ID:cb8d8bdc
>>140
外国からの侵略を抜いても、
内輪でグダグダが大半なんだよなぁ・・・。

つか、シナの王朝って、たいていまず内乱でグダグダになって、そこを異民族にやられるじゃない?

142  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 21:40:03 ID:2aa48a70
江戸時代の「平穏」さはちょっと説明が付かない現象
平安期の律令体制下の軍が消滅した後の治安の悪化も特にないし何だろうなアレ

143  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 21:46:09 ID:098c8587
>>142
平安時代と違って地方は各藩主が私兵持って治安維持やってるからね
内乱までいかないけど百姓一揆等の蜂起はあったり

144  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 21:54:43 ID:1a73d4a3
>>143
つうても強訴の類がほとんどだし、範囲も狭く極めて小規模。
治安担当者が撃退されるような規模は島原の乱くらいのもの。

145  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 22:02:15 ID:4463875f
実際、土地争いや家督相続争いが合戦沙汰によらなくなっただけでも凄い進歩ではある>江戸時代

146  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 22:21:27 ID:05b63b41
>>143
百姓一揆の際に、百姓が武装しなくなった
死者の出かねない鉄砲、弓、槍を無許可に持ち出さないなど、幕府の定めた法を末期まで守り続ける

147  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 23:17:42 ID:17c8afcf
乙です
創作において「能力無いけど彼らを使いこなした徳望の人」と描きがちと言うけどそんなに脚色が入ってるとは思えない。
まず事実として(軍事力)項羽、韓信、冒頓単于>>>>>劉邦だし
(文官、内政、智謀)蕭何、張良、陳平>>>>>劉邦 なのは疑いようが無い。
じゃあ、何故最後の勝利者になれたのかと言えば「能力無いけど彼らを使いこなした」からに他ならない。
であるなら、虚構の部分は精々、徳望の人で韓信、蕭何、張良、陳平を魅了して操ったって一か所だけだね。

148  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 23:23:08 ID:8ecf7fca
3行目は分かるが4行目から一気に飛躍してるね。
個人的には不良中年はそれなりに優秀に成長したという>1の説に賛同する。

149  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 23:28:14 ID:05b63b41
韓信にしても、蕭何にしても、自分が群雄や覇者になろうという野心の無さも含めて、トップになる器ではなかったからな
張良は、1の考察した「韓王殺害は切っ掛けではなく、張良のせい」を考えると、単純に不良中年が気に入ったっぽいけど

150  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/10/13(Fri) 23:50:11 ID:e27edfbf
自分より上がいる、と無能は違うだろう