やる夫で学ぶレンティア国家

レス数:631 サイズ:779.42 KiB 最終更新日:2018-04-28 03:38:19

307  名前:◆gKNcHiCsig[] 投稿日:2017/10/02(Mon) 03:44:22 ID:5765b4ea


>>297
もし、それが実現できるならば”レント”と呼べる可能性はあります。
ただ、問題はその非効率な形態でGDP40%程度獲得できるのかということです。
そして、それが実現してしまうような国家は既に国家ではないでしょう。


>>298
他の方が指摘されていますが、基地補助金はレントに当たるかというと疑問に思うところです。
というのも、割合はともかくとしてやはり基地はその地域の経済(土地の賃貸料、軍人相手の商売)などに関わっていますし

地方自治体の経済に全く関わっていない基地というのがあまり想像できません。
レントと呼ぶのは難しいかと思います。


>>303 >>306
おっしゃる通り、レンティア国家論はある意味当たり前の学説です。
しかし、学者がしばらく気づかなかったということは、コロンブスの卵的なものでもあるということです。

では、なぜこの当たり前の学説が見えなかったのか。

これは、1980年代末までの政治学は、
「なぜ民主化をしないのか(民主化すべきなのに)、どうすれば民主化できるか」の研究が主流だったからです。
しかし、これでは有意義な研究はできないし、国家戦略上も役に立たないとして、
90年代以降「なぜ非民主的体制が続くのか(その要因は?)」に研究の方向性が転換したのです。

レンティア国家論の主題は、まさしく非民主的体制の維持の要因を探るものですが、
80年代の研究潮流で言うならば、そうしたことに興味がなかったわけです。
パラダイム転換が起きた90年代前後が、まさしく古典的レンティア国家論の時代と重なるわけです。

この”当たり前”を単なる直感でなく、計量的データや1国家の詳細な分析などを通じて
証明したのが、「レンティア国家論」の偉大なところであると思います。


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