やる夫で学ぶ「法学者の統治論」その2

レス数:324 サイズ:662.48 KiB 最終更新日:2025-08-11 01:09:14

271  名前:携帯◇sSLW7aecKk[] 投稿日:2025/07/29(Tue) 15:34:25 ID:dffa530e
>>267 続き
では、このような植民地状態でありながら、イスラーム法が多少なりとも残存している地域はダール・アル=イスラームと呼べるのか?
これについては、地域の差異はあるのですが、場合によってはダール・アル=イスラームと呼べる場合もあります。


例えば、ロシア帝国下のムスリムは民法事項のみイスラーム法が執行されていました。
これについて、ロシア帝国のムスリム ムハンマド・ターイブ(1830~1905年)は以下のように述べています。

「この国(ロシア帝国)がダール・アル=イスラームであり、シャリーアの規定が名誉ある役職者とその職務がいきわたっている現状を恩寵とわきまえ、これに感謝することである
もしムスリムの官吏がその任務を拒めば、キリスト教徒のロシア人に民政の業務が委ねられるだろう…その時この国はダール・アル・ハルブとなる」


あるいは英領インドでも、英国官僚によって改変されたアングロ・ムハンマダン法が実施されて論争を呼んでいました。
これについて、英領インドで裁判官を務めていたアブドゥル・ラヒム(1867~1952年)は1911年に以下のように述べています。

「シャリーアの大部分が実施されているならば、統治者自身はムスリムである必要がないという原則に基づき、インドはダール・アル=イスラームであるし
たとえ、数人の信者しかいなくとも、彼らがその法を守っているのであれば、その地域は理論上ダール・アル=イスラームと呼べる」


もちろん、これに反発する人々も少なからずいるのですが、このイスラーム法が執行されているならば、ダール・アル=イスラームは有力な見解です。
よって、共同統治でもダール・アル=イスラームと呼べる余地は、イスラーム法の執行次第でありうると考えられます。