やる夫で学ぶ「法学者の統治論」

レス数:759 サイズ:1212.17 KiB 最終更新日:2025-05-11 23:51:39

755  名前:◆sSLW7aecKk[] 投稿日:2025/05/11(Sun) 19:02:51 ID:b79dd676
>>751 続き
さて、このように民主的な要素を肯定した上で、民衆の意思とは何か。
『イスラームと国家の基礎』には以下のような記述があります。

「イスラーム国家はイスラームの原則に反せず、イスラームやムスリムの公益と最大に合致しなければならない……
ムスリムがイスラーム意識を持ち、社会的・国際的状況を認識しているならば、イスラーム国家における統治機構の選択や選出をできる。
この場合は、イスラーム法上成人した男女全てが同等の権利を有する。

しかし、ムスリムがイスラーム意識が欠如し、社会的・国際的状況を認識出来ないならば、
その状況を改善出来るまで、イスラーム法と公益に精通した ダアワ党が指導的立場に立つべきである」

どこか社会主義における前衛党の議論と似たような話が出ていますね。


サドルは確かに民衆の意思を指摘しますが、これそのものを法学権威の立場とはリンクさせていません。
あくまで、立法権・行政権はウンマ=民衆のものだとしつつも、それをイスラーム法の権利にまでは拡大していない。
このことから、サドルにとって民衆の意思は、基本的に立法・行政でのみ提示すべきものと限定的に考えていたのではないでしょうか。

これはイスラーム法=ウラマー、行政=ウンマ(共同体)という古典的なイスラーム法の主権の理解にも重なります。