私談・楚漢銘々伝

レス数:1000 サイズ:1274.72 KiB 最終更新日:2018-04-28 03:38:22

81  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/09/24(Sun) 01:02:46 ID:44a06b3f
>>80
大規模農業ってのをどういうのをイメージしているかしらないが、
日本における中山間地方の集落のサイズってのは、だいたい中世~近代にいたるまで
数十戸~百数十戸をせいぜい数十町歩未満の水田で行うものだ。
農地制度、農業政策の平成19年以降くらいの集積目標等の移り変わりをみていればわかる話だが。
そして、稲作伝来時は、大規模に水田が行える平野自体が、当時は海の底だったり沼地だったりで、存在していない。

なお、焼畑農業は戦後まもなくくらいまでは、日本各地で行われていた。根付かないも何も、歴とした事実。

また、>>62での「都市」とは、京などを想定したもの。食料生産を外部に依存している場所、というイメージで使ってる。
そこは文脈からもわかってもらえることだと思うが。