私談・楚漢銘々伝

レス数:1000 サイズ:1080.26 KiB 最終更新日:2018-04-28 03:38:18

539  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/09/09(Sat) 20:56:05 ID:cb05f38a
>>538
なんかこれまでのステレオタイプな劉邦像でも、>>1の描く劉邦像でも、
そんな戦闘民族な性向はないと思うんだよねぇ。
前線で積極的に戦ったのは、もっと別の理由、劉邦にとってはやむを得ない理由があったからだと思うんだが。

例えば、色々過去の情報を統合して思索するに、
呂后なんかは、かつて劉邦と功臣は同輩だったことから、漢王朝を侮り、謀反するのではと恐れていたが、
劉邦自身も、自身の出自が低いから、自分がリーダーであると示すためには常に前線に出て勝利する必要があると感じていたとか?

そういう考えでいけば、天下統一後の謀反祭りに積極的に前線に出たのは、
権威の失墜を防ぐためには親征で常に実力を見せつけるしかないと考えたからかも。
「舐められてるから反乱される、なら舐められないよう、他の反乱を防ぐよう、もう一度項羽を打倒した武力をみせつける」
そう劉邦が考えたなら、だれか派遣するよりも、自身が出るという選択肢を取りやすいだろう。

そして、彭城戦前後で、中原は劉邦と項羽が取り合う構図がすでに出来上がったので、
項羽を倒すことがほぼ天下統一の道が開くことに同義であるという意識をすでに劉邦が持っていたとしたら、
天下統一後、出自が低い自分が皇帝になるための正統性の確保のためには、
自分が主導的に天下一の武力を持つ項羽を打倒さなければならない、と考えたのかもしれない。
天下統一後も叔孫通以前は部下になめられまくっていたわけだし、権威の確保は常に劉邦にとっては重要なことだったのかも。

そういう前提にたてば、劉邦があるいは韓信が項羽を倒せると思っていたとしても、
韓信主体で項羽を倒されてしまうと後々困ると考えた可能性はあるかも。
だが最終的には韓信を呼び寄せて項羽を倒しているし、この考察も決め手にかけるんだが・・・。