私談・楚漢銘々伝
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名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/09/09(Sat) 19:15:36 ID:cb05f38a
>>534
自己レスだが、韓非子は元々韓の公子で、英才だけどドモリだったため、
弁舌ではなく書によって自らの主張を広げたわけだが、
同じ韓の宰相の家系だった張良の家にもその書くらいあっても不思議じゃないし、
張良が劉邦にその一説を語って聞かせたり、
あるいはその場で劉邦にこの話を耳打ちしたのかもしれない。
あるいは、楽羊は魏の武将で、
元々魏びいきの劉邦としては、韓非子は知らなくとも楽羊のエピソードそのものをよく知っていたのかもしれない。
いずれにしても、息子のスープを飲んだ楽羊はそのまま息子を煮殺した中山国を滅ぼしているので、
「そのスープを飲む」宣言は、同じように相手を滅ぼすまで戦うという決意表明であった、と当時は考えられたかも。