やる夫で学ぶ「法学者の統治論」その2

レス数:129 サイズ:259.05 KiB 最終更新日:2025-07-12 12:51:41

47  名前:携帯◇sSLW7aecKk[] 投稿日:2025/07/11(Fri) 11:08:11 ID:e431c927


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

レバノン内戦終結後のヒズブッラーの外的要因の変化

レバノン内戦終了(1990 ターイフ合意)→シリアによる介入で部分的武装解除、欧米人に対する誘拐戦術の放棄
ホメイニー死亡(1989)→イラン外交の穏健化とイランの支援削除
冷戦終結(1989)→国際的な闘争関心の低下

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


              -―――-
           /::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.\\
              /::.::.::.:: Λ::.::.::.::.::| ::.: |:: |`\
          | ::.:: /|/  ∨Λ::.| ::.: |ミ|  /
          |::|::.::| n   n V| ::.: |ミ|_〉      まず、①についてレバノン内戦終結を決めたターイフ合意により
          |Λ::.| l」   l」  :|::.::.八:|
               |:Y         И/_ノ:|        事実上警察や国軍が機能しないレバノンに代わり、シリア軍がレバノンに駐留することになりました。
.        _rへ |人_ 匚 冫_|::.::.::.::.|
         |  n|:/::.:: /厂 />|/ ::.::. |        いざこざはあったものの、なんとか治安を安定させたシリアによる平和
         |  / | ∨/〈 {// ,ノ:\::.Λ
         L  ノ /:( [>r<] ): : : :}::.::.|       これを「パクス・シリアーナ」と呼び、2006年まで続くことになります。
         ]ニニ[/ : └く人> ┘ : : : :}::.::.|



                      __
               / ̄:.::.::.::.::.::.::.::.:`\
            /:.::.::.::.::.::.::.:: \:.::.::.:: \
              |: / :| :: |:.::.::.::.::.:|:.::.::.::.::.:|_
              |/Λ|⌒|:.::.::.::.::.:|:.::.::.::.::.:|二}
            ノΠ⌒|::Λ:.:: /:.::.:: _>|二}
             「  U,,, |/:: | :/^}:.::.::.::.:: |∨
          从 _   /:.::.:|/rノ::|:.::.::.::.:|ニ〉        このパクス・シリアーナの中で、ヒズブッラーと関係のあったシリアは
            /:.:Λ   |/| :/ 〈:.:: |:.::.:.: /
          ⌒|/  ̄ Λ|/  \|:.::.::/|           ヒズブッラーに自爆攻撃や外国人の誘拐戦術の禁止、イスラエル国境付近を除いた
               /〉   /^\ 八
                 | /   /    ∨:\         部分的な武装解除を要求し、ヒズブッラーにのませました。
                  Λ|⌒/      |:.::.:: \
              /  | ./      Λ:.::.::.::.:|       これによって、内戦時のような全面的な武装闘争が不可能になりました。
                /   .|/      /  ∨:.:.: |


.