やる夫で学ぶ「法学者の統治論」その2
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名前:携帯◇sSLW7aecKk[] 投稿日:2025/07/11(Fri) 11:08:11 ID:e431c927
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レバノン内戦終結後のヒズブッラーの外的要因の変化
レバノン内戦終了(1990 ターイフ合意)→シリアによる介入で部分的武装解除、欧米人に対する誘拐戦術の放棄
ホメイニー死亡(1989)→イラン外交の穏健化とイランの支援削除
冷戦終結(1989)→国際的な闘争関心の低下
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|::|::.::| n n V| ::.: |ミ|_〉 まず、①についてレバノン内戦終結を決めたターイフ合意により
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|:Y И/_ノ:| 事実上警察や国軍が機能しないレバノンに代わり、シリア軍がレバノンに駐留することになりました。
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| n|:/::.:: /厂 />|/ ::.::. | いざこざはあったものの、なんとか治安を安定させたシリアによる平和
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L ノ /:( [>r<] ): : : :}::.::.| これを「パクス・シリアーナ」と呼び、2006年まで続くことになります。
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从 _ /:.::.:|/rノ::|:.::.::.::.:|ニ〉 このパクス・シリアーナの中で、ヒズブッラーと関係のあったシリアは
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⌒|/  ̄ Λ|/ \|:.::.::/| ヒズブッラーに自爆攻撃や外国人の誘拐戦術の禁止、イスラエル国境付近を除いた
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| / / ∨:\ 部分的な武装解除を要求し、ヒズブッラーにのませました。
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/ | ./ Λ:.::.::.::.:| これによって、内戦時のような全面的な武装闘争が不可能になりました。
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