【Ffh2風】やる夫は無茶振り王国の研究者のようです75【R-18】【技術開発】
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名前:無茶王 ◆T8n83RxOuU[] 投稿日:2021/02/07(Sun) 00:21:29 ID:a3fff605
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もっと言えば、国とか軍隊とか敵味方という概念自体が、
指揮能力(心術)ありきなのだ!
王が指揮能力(心術)人々をまとめるからこそ国ができ、
異なる王を頂く国同士の間で同盟や戦争が行われる。
その点において、王にとっては「自国民を従える(内政)」のも「他国民を寝返らせる(外交諜報)」のも本質的には大差がない。
自国民ですら、王にとっては絶対的な味方ではなく、
本来的には忠実とは言い難い個々人を指揮能力(心術)で支配しているだけの仮初の味方だ。
仮に王が指揮能力(心術)を失えば、「自国民」は容易に王に反旗を翻し、あるいは昨日までの同胞と争って国は割れるだろう。
共産主義ミームのように、王よりも強力な心術を用いれば、忠実な臣民は容易に売国奴に化けるだろう。
逆に、「他国民」も絶対的な敵や中立勢力ではなく、
指揮(心術)次第で忠実な部下に変えることが可能なのだ!
共産主義ミームが、他国民を寝返らせてディミーアの如く潜伏工作員を量産したように。
このように、王にとっては「自国民を従える(内政)」のも「他国民を寝返らせる(外交諜報)」のも同じことだ!
覇道神が魂を奪い合うように!
神座宇宙の人々が、覇道太極にまどわされて、容易に立ち位置を変えるように!
善悪二元真我における善悪闘争で、転墜で容易に善悪と敵味方がコロコロ変わってしまうように!
指揮(心術)とは究極、善悪も敵味方も超えて、「みんな」を己の色で染め上げる覇道太極そのものなのだ!
そこに、国の内外で「内政」「諜報外交」と区別を付けることが本来恣意的なのだ。
それは義者や不義者が自分の善悪敵味方を盲信する程度には主観的な錯覚なのである。