やる夫とゆかりんで学ぶ現代文

レス数:585 サイズ:1336.17 KiB 最終更新日:2022-12-31 15:46:09

503  名前:◆dDpRPQ7DLc[] 投稿日:2019/03/03(Sun) 21:13:01 ID:09375b6e
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                         从:...:i l|:八j込、      ,     (  .:i :|     |  l|        本当に知らないかどうかは、問題を解いてみれば分かる。
                      ___彡ク:i: :|八_: :\介:..     _  __,    ..:介:l :|     |. : l|
              __-=ニ7:i:i:i:i:i:|: :| ⌒V:i V:i:i|ニ-.. _   _ ...-ニ|:i:i:i|人|    .:|: /l|        下の文章を要約してみなさい。
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│1 │評論
└─┘


評論というのは難しい!これは読み手としての率直な意見である。
同様に、物語というのは難しい。いやいや、これは読むことではなくて。
そう、これは…… 答え手として、難しい。

小説と評論、これには成り立ちに大きな違いがある。それぞれの歴史を語る時、もっとも大事なのは「政治体制」である。
トップダウン式の絶対王政と…… ボトムアップ式の民主政治。政治はこの2つに大別される。
同時に、絶対王政では「評論」という表現方法は発展しない、ということは理解できるだろうか?

まず、評論というものがどういう目的を持って作られたか。
評論は自らの「主張」を通すため。対等な人々と議論するために作られた表現手法である。
評論にはルールが決まっており、例えるなら工業製品のような、規格化され高品質なものが求められた。

歴史上には多くの絶対的権力が生まれた。古くは始皇帝、暴君ネロ…… 独裁者というのは両手に余りある。
さて、この名だたる圧政者たちに対して君は自分の意見を言えるか?
言ったとして説得できるか?例えどんなに賢くても、経済的に豊かでも、地位が高くとも。命の危険が伴うだろう。
つまり、議論したとして、その成果を主張する場所がない。そもそも議論は反体制に繋がるとして規制されたこともある。
彼らにとって、ルールというものは自身を縛る枷に過ぎなかった。道具でさえなく、不必要なものだった。
これでは評論という表現方法が発展するはずもない。そう、その代わりに、暴力という表現方法が発達したのだ。
ただ例外的に、科学、宗教という狭い世界や、古代ギリシア、初期ローマなど民主政が機能していたところでは
論理学が発展しているのは特筆しておこう。

対して、物語というものは古く、非常に古くに生まれ、紀元前から現在まで途切れることなく発展を続けてきた。無論現在進行形で発達中だ。
これはどうしてかと言うと、物語には「書き手の主観」が入らない。意見ではないのだ。全て状況説明で済まされる。
書きたいことがあるとして、その受け取り方は各人に委ねられる。王様も、自分が解釈を決定できるなら文句は言わない。
加えて、娯楽の要素も強い。物語というのは多様に分化し、身分も時代も問わず楽しめる一大コンテンツと化した。

小説と評論、現代文においてその難易度の質を決定づけるのはそれぞれの構造ではないか。解釈が必要であるか必要でないか。
評論では、出題者と回答者は基本的に同じものを見ているはずだ。ルールの上では、ルールによって解釈を行うべきだ。
しかし、小説では。出題者と回答者では解釈が異なっても良いのである。もちろん、出題の範囲では解釈が一致しなければならないが……
それ以外では、解釈を読み手に求める部分が少なからず存在する。そこのフィーリングの違いが、回答に影響に及ぼす可能性は、決して
無視できるものではない。回答者、出題者ともに、現代文において解釈というものは徹底的に無視すべきものであることを
忘れてはならない。


(dDpRPQ7DLc 「やる夫とゆかりんで学ぶ現代文」による)