私談・楚漢銘々伝

レス数:1000 サイズ:1274.72 KiB 最終更新日:2018-04-28 03:38:22

88  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/09/24(Sun) 03:20:21 ID:44a06b3f
>>46
官僚機構や統治機構の喪失ゆえの脆さ、というよりもむしろ
「権威の喪失」およびそれによる「権力保持の困難さ」故の脆さだったんではないかと思う。

戦国七雄の時代は、民衆はそれぞれの国家に帰属意識があったが、秦の統一によってそれが全部失われた。

そんな時に陳勝呉広の乱がおき、それまでの王族以外のものが王になるようになった。
古来からの権威、というものがない新興君主にとって、権力の源泉とは武力以外にない。
だから、一回の敗北でその武力への信頼が崩れると、一気に権力がなくなるし、
元々斉の王族だった田氏の斉が粘れたのも、田氏にはほかの新興王族にない「権威」、「田氏斉への帰属意識」があったからだろう。