やる夫で学ぶレンティア国家

レス数:631 サイズ:779.42 KiB 最終更新日:2018-04-28 03:38:19

291  名前:◆gKNcHiCsig[] 投稿日:2017/09/25(Mon) 02:44:03 ID:d63e5cb6

>>268
ベガはベガでもホクトベガが死んだのもドバイですね。懐かしいです。


>>288
不公正な配分を受けている層からの革命は、おっしゃる通りあり得ると思います。
これまでの優遇層に関しては、この層からの革命はまずありえないというわけではありません。
事実、イラン・イスラーム革命の時には、レント配分を厚く受けている軍人や一部ブルジョワジーでさえ革命を支持していたわけなので。

最後のスミス論文が指摘する通り、レンティア国家がそれを維持するには、普通大衆支持組織が必要になります。
しかし、サウジアラビアにそれがあるかと言われると甚だ疑問です。
無論宗教的な権威など他にそれを維持する要素があるのですが……

ただ、サウジアラビアに関してはレント収入が多少なりとも低下しても、国民(特に優遇層からの)の支持を得る方法があります。
それが>>1の「10.レンティア国家における労働市場と脱レンティア化 松尾の湾岸諸国研究を事例に」になります。
詳しいことはそこでお話しできればと思います。


>>290
おそらく、スハルト政権時代の与党の”ゴルカル”のことでしょう。
というのも、ゴルカルは元々、職業別集団(公務員組合や職業組合、青年団体、労組などの多様な官製の団体 から編成)を組織化したものですが、
スハルト時代には村レベルまで組織を浸透させ、地方政府とも同一化していました。

つまり、簡単に言うと、中国やソ連における共産党と同じ役割にあったわけです。
もちろん、制限は大幅にあるものの、曲がりなりにも地方レベルから意見を吸い上げて、国政中央まで持って行くことが出来たわけです。
むろん、近代化による反発はありますが、スハルト政権時代は一定の国内産業保護政策に努めており、その点でも配慮があると言えます。

一方、イランは確かに新イラン党、復活党などの帝政支持派の官製政党がありました。
しかし、彼らは大衆の支持に根差した政党でもなく、共産党やゴルカルのように地方組織と一体化した組織でもありません。
イランの与党は基本名望家政党に近い存在で、ただの皇帝の追認機関でしかなかったわけです。



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