テストⅢ

レス数:1000 サイズ:1678.1 KiB 最終更新日:2018-09-22 23:31:11

183  名前:普通のやる夫さん[sage] 投稿日:2017/09/10(Sun) 08:57:28 ID:dac816ef
>>396534
色々と調べてみて思うに、これは実はやっぱり当時は「親捨て」的なエピソードとしては捉えられてなかったんでは?
むしろ、「親を煮殺されようがお前を滅ぼすまで徹底的に戦う」という決意表明という意味合いだったんじゃないかな。
韓非子の「巧詐は拙誠に如かず」の楽羊の話を踏まえての。
理由としては以前に書いたものの繰り返しも含むが

・劉邦と劉大公は死別するまで良好な関係を保ち続けたのは>>1が書いてきたとおりだが、この件での謝罪やフォローも見当たらず、両者の関係に影響を与えていない。
・子捨ての時の夏侯嬰のような家臣のドン引き描写がない。
・陸賈の新語に書かれたように、劉邦公認エピソードであり、隠すようなものではない、むしろ態々書き残すべきエピソードとして扱われている。
・韓非子は自らの理論を説明するのに分かりやすい寓話を多用するが、その韓非子が持ち出したエピソードということは、楽羊の話は当時は有名な話だった可能性が高い。
・また、劉邦は魏に縁があり、また楽毅も尊敬していてその子孫を封権している。楽羊は魏の将でかつ楽毅の祖先でもあり、劉邦が知っていても不思議じゃない。
・楽羊は子供のスープを飲み干したことは、子供を殺されようが中山国を必ず攻め滅ぼすという決意表明ともとられていた。

といったところを踏まえれば、
「とーちゃん煮たスープを飲ませろ」は「とーちゃん死のうが関係ないね」というより、、
「父親を煮殺されようが、我が子を煮殺された楽羊と同じように必ずお前を滅ぼす」
と言った意味合いで発言された、と当時は考えられた可能性が高い。
項伯の「われらに益はなく、かえって劉邦の恨みを買うからよくない」も、「劉邦は酷薄だから父親殺しても意味がない」というより、
「楽羊と同じく、かえって恨みによって戦意を高めるだけだ」
という意味だとしたら、諫める言葉としてより説得力がある。