やる夫で学ぶ並行イスラーム論

レス数:513 サイズ:655.43 KiB 最終更新日:2018-04-28 03:37:43

220  名前:◆gKNcHiCsig[] 投稿日:2017/01/06(Fri) 16:30:38 ID:bc954768
>>202
逆に考えるといいかもしれません。
コレニザーツィヤ政策が行われた理由の1つとして
こうした現地の民族を飼いならすために行ったということがあります。

コレニザーツィヤ政策が後退しだしたのは1930年代に入ってからなのですが
この後退の原因は「社会主義」よりもそれぞれの「民族文化」を大事にしだしたということ
そして、国境外にいる同民族(例えば:イランのアゼルバイジャン民族)と繋がり始めたと言う点にあるためです。

バスマチ運動に照らし合わせていうと、バスマチ運動を抑えるためにコレニザーツィヤ政策が行われたが
期待したほどの効果が表れず、コレニザーツィヤが後退していくことになるのです。

>>203
ソ連との関係で言うと
「アゼルバイジャンSS義勇部隊」「タタール兵団」「東テュルクSS武装部隊」が有名どころですね
何れもロシア革命・ロシア内戦中に西欧に脱出したグループが中心的になっていますね。
特に、重要なのは「アゼルバイジャンSS義勇部隊」の存在で、ソ連一の石油生産地バクーと関連がありましたね。
北カフカースでは、一部のムスリムがナチス・ドイツ軍を喜んで迎えたということもありますね。


>>204
ソ連時代、あまりにウラマーとモスクなどが少なすぎて、スンナ派と接近していますね。
アゼルバイジャンの例で言うと、首都バクーのモスクでシーア派がスンナ派のモスクに礼拝に行ったり
スンナ派のウラマーにシーア派の住民が、結婚式の儀式執行を頼んだりと……その逆も然りなのですが。

ただし、1979年のイラン革命以降、ホメイニーの声が入ったカセットテープを密輸するなどして
徐々にシーア派の真の教えとはなんぞや?という問題が浮かび上がってくるのですが

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